大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和55年(ワ)5419号 判決

原告

向井京子

向井俊彦

向井和則

向井貴子

右三名法定代理人親権者母

向井京子

右四名訴訟代理人

島林樹

中田利通

被告

大脇範雄

李健次

右両名訴訟代理人

高田利広

小海正勝

主文

一  被告らは、各自、原告向井京子に対し、金八九八万六四五九円及び内金八一八万六四五九円に対する昭和五四年一二月一六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告らは、各自、原告向井俊彦、同向井和則及び同向井貴子に対し、それぞれ金五六二万四三〇六円及び内金五一二万四三〇六円に対する右同日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用はこれを五分し、その四を被告らの、その余を原告らの各負担とする。

五  この判決は、主文第一、第二項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

〔請求の趣旨〕

一  被告らは、各自、原告向井京子に対し、金一〇六五万三一二六円及び内金九八五万三一二六円に対する昭和五四年一二月一六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告らは、各自、原告向井俊彦、同向井和則及び同向井貴子に対し、それぞれ金六七三万五四一七円及び内金六二三万五四一七円に対する右同日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は被告らの負担とする。

四  仮執行宣言

〔請求の趣旨に対する答弁〕

一 原告らの請求をいずれも棄却する。

二 訴訟費用は原告らの負担とする。〈以下、省略〉

理由

一正志の本件交通事故による受傷及びこれに対する被告李の診療の経過

〈証拠〉を総合すると、正志の本件交通事故による受傷及びこれに対する被告李の診療の経過は次のとおりであつたことが認められる。

1  正志は、昭和五四年一二月一六日(日曜日)、午前中から東京都渋谷区本町四丁目二八番二号所在の妹の柳町レイ子夫婦を訪れて相当量の飲酒をし、同日午後二、三時ころレイ子の夫の運転する自動車にレイ子とともに同乗して柳町方を出発し、正志が当時勤務していた同都大田区下丸子三丁目二番二四号所在の川野建設株式会社の宿舎に向かつた。

2  正志らは、多摩堤通りを二子玉川方面から丸子橋方面へ向けて進行し、同区田園調布四丁目四二番一七号先路上まで来た際、酩酊中の正志は、車道巾員約八メートルの右道路の反対側にある多摩川の川原で小用を足すため降車し、道路を横断して小用を済ませた後、同日午後四時一五分ころ、右自動車に戻るべく右道路の中央線付近まで進んだが、自己の左方向から進行してくる自動車を避けるべく約0.5メートル後ずさりした際、折から右方向の丸子橋方面から時速約四〇キロメートルで進行してきた明石直一の運転する自動二輪車(登録番号品川め第五三八五号、ホンダCB七五〇昭和四五年式、車長2.16メートル、車幅0.88メートル、車高(ハンドル部分の高さ)1.15メートル、車両総重量三四〇キログラム)に衝突されたこと、その際、自動二輪車の右ハンドル部分等が正志の脇腹付近に強く当たる形で衝突し、正志は約5.6メートルはねとばされて路上に転倒したものであるが、この衝突により、自動二輪車の前輪泥除けがやや左に曲り、左右ハンドルの間にある速度計と回転計を接合するボルトがなくなつた。なお、正志は本件交通事故当時、セーターを着た上にジャンパーを着用していた。

3  正志は、同日午後四時二〇分、通報により右現場に急行した東調布消防隊三部の救急車に収容されたが、救急隊員は、その際の正志の状態について、意識及び呼吸は正常であるが、脈拍の緊張は弱く、頭部挫傷で少量の出血があることを認め、全般的な症状の程度は中程度と判断した。右救急車には柳町レイ子が同乗し、正志は同日午後四時三五分に同都世田谷区奥沢三丁目三三番一三号所在の大脇病院に搬送された。

4  大脇病院では前日の土曜日午後二時から一人で診療時間外及び休日の当直医師として勤務していた被告李が正志の診療を担当することになつたが、被告李は、昭和五四年三月に昭和大学医学部を卒業し、同年五月に医師の登録をしたばかりであり、普段は大学の医局に勤務し、右当日はアルバイトで大脇病院の当直医をしていたものであつた。被告李は右搬送後直ちに右病院一階の外来診療室に収容された正志に対して、まず、その着衣を脱がせて全身を診察した。その際、正志にはアルコール臭が認められ、意識障害の有無を調べるため被告李が名前、年齢、住所を尋ねたところ、名前、年齢は答えたが、住所については出身地を答え、痛いというのでその場所を聞いてもはつきり答えず、廊下にいる妹の名前を呼んだり、処置中制止しても体を動かしたりするので、かなり酩酊状態にあると判断した。外表面には左後頭部及び右大腿外側の各挫傷のほか、左上腕及び右外肘に擦過傷があつた。被告李は正志の受傷時の状況について同行していた柳町レイ子又は救急隊員から、正志が酩酊していて自動車から降りる際にオートバイにはねられた交通事故であるとの旨を聴取したが、それ以上の事故の具体的態様については尋ねなかつた。そして、被告李は正志の血圧を測定し、最高値九〇、最低値六八という結果を得、また、正志には呼吸困難、腹部の筋性防禦反応、瞳孔左右不同等の異常は認められず、神経学的な異常も認められず、被告李は後記7の右胸部の肋骨骨折及びそれによる胸腔内出血その他の特段の異常を認めなかつたので、右各挫傷を縫合して包帯を巻くなどの処置をなし、その後、右血圧値を考慮し、静脈を確保する目的も合わせて乳酸加リンゲル液五〇〇ミリリットルの点滴注射を開始した。その間、正志は時折左右に寝返りを打ち、便を一回失禁するなどしており、また、胸腹部のあたりにしきりに疼痛を訴えていたが、被告李は前記のとおりその正確な部位が確認できなかつたので、これに対しては特段の関心を示さなかつた。また、被告李は、正志の主なる症状は左後頭部の約五センチメートルの挫創と左大腿外側の約四センチメートルの挫創であり、格別重症ではないと考えていたので、胸部に対するレントゲン撮影、血液検査による赤血球、白血球及び血色素量の測定、尿採取による血尿の検査並びに頭蓋単純レントゲン撮影、CTスキャンによる頭部撮影はいずれも実施しなかつた(右事実中、被告李が大脇病院の休日の当直医師として正志の診療に当たつたこと、正志が右交通事故により左上腕及び右外肘の擦過傷を負つたこと、右初診時の正志の血圧が最高値九〇、最低値六八であつたこと、被告李が正志の左後頭部及び右大腿外側の各挫傷を縫合して包帯を巻くなどの処置をしたこと、被告李が正志に対して胸部レントゲン撮影、血液検査による白血球、赤血球及び血色素量の測定、尿採取による血尿の検査並びに頭蓋単純レントゲン撮影、CTスキャンによる頭部撮影をいずれも実施しなかつたことは当事者間に争いがな〈い。〉

5  被告李は、正志が酩酊していることなどからその症状経過を観察する必要があるものと認めて入院させることとしたが、当時翌朝になつて正志が酩酊から覚めれば退院できるとの見通しを持つており、その旨を柳町レイ子に告げた。そして、被告李は、右点滴を実施しながら同日午後五時二〇分、二階の二〇一号病室(大部屋)に収容して看護婦に正志を安静にさせるよう指示し、診療録の記入等をするため別室のナースセンターに行つたが、正志はこの後、寝返りをしたり、ベッド上に起き上がつたりして体動が激しくベッドから転落するおそれがあつたため、看護婦が正志を窓際のベッドへ移し、ベッドに柵をした。このころ、正志は大声で歌うなどしており、看護婦が血圧、脈拍及び体温を測定することができなかつたが、喘鳴及び呼吸困難は認められず、また、正志は右点滴の注射針を自ら抜いてしまい、全量は輸液されなかつた。同日午後五時四〇分に至り、正志の状態が急変して体動が少なくなり、下顎呼吸が現れたので、看護婦が右ナースセンターにいた被告李を呼んだが、正志は既にショック状態に陥つており、脈拍は微弱でほとんど触知できず、血圧も測定不能の状態にあつたので、大脇病院の常勤医師である後藤信幸医師に来院するよう連絡するとともに、同日午後五時五〇分ころから以下のような心肺蘇生術を開始した。すなわち、まず、被告李は正志のベッドの横に立つて体外式心マッサージ(この際、正志の身体の下に板を差し入れることはしなかつた。)を行い、人工呼吸用のマスクを取り付けて人工呼吸を実施し、正志の右大腿部の鼠蹊静脈にエラスター針を刺して乳酸加リンゲル液五〇〇ミリリットルの点滴注射を開始し、ECG(心電図)モニターを装置した。そして、右各処置を継続しながら三リットルの酸素をネラトンカテーテルで吸入し、昇圧剤のカルニゲン二管及び副腎皮質ホルモンのソルコーテフ五〇〇ミリグラム四本を注射した。この間、正志は胸部から腹部にかけて膨満し、また、嘔吐があつたので、被告李は吸引を施行した。その後、同日午後六時三〇分にショック時の補助薬のノルアドレナリン一アンプル(一ミリグラム)を二回にわたつて心臓内に注射したが、右ECGモニターに心拍は現れなくなつた。このころ右連絡により来院した後藤医師が正志の状態を見分した。同日午後六時三五分、正志は、瞳孔が散大し(ただし、瞳孔の左右不同はなかつた。)、対光反射が消失し、脈拍を触知できず、ECGモニターの画像が直線化したので、被告李は正志の死亡を確認した。被告李は正志の死因について柳町レイ子らに対して頭部外傷によるものである旨を告げ、また、この後、被告李から事情を聴取した後藤医師が正志の症状を頭部外傷、後頭部及び右大腿部挫創、全身打撲並びに外傷性ショックと診断した(右事実中、正志が同日午後六時三五分ころ死亡したことは当事者間に争いがな〈い。〉

6  大脇病院は右同日当時、救急病院等を定める省令(昭和三九年二月二〇日厚生省令第八号)一条及び二条によるいわゆる救急病院であり、大脇病院における右同日の診療体制は、医師は右のとおり診療時間外及び休日の当直医師である被告李だけ、看護婦は外来患者担当が二名、病棟の入院患者担当が二名の計四名であつて、緊急手術等を要する場合には同病院の近くに居住している常勤の外科医師等を登院させて行うこととなつていた。そして、被告李は、大脇病院に勤務するに際し、同病院が救急病院であることを知つており、また、外来患者については処置できるものは処置し、処置が不明な場合及び症状が重篤な場合は他の病院へ転送するよう指示されていた。

7 正志の死体は翌日の同月一七日一一時四五分、大脇病院内において東京都監察医渡辺博司によつて死体検案に付されたが、その結果によると、正志の死体において特に異状を有する所見としては、右頭頂部に縦三センチメートル、横2.5センチメートルの挫創を伴う表皮剥脱が一個あり、穿刺した結果髄液が少量の血性を帯びており、また、右第三ないし第六肋骨の外側(脇腹部分)で骨折を触知し、右胸腔内には穿刺により相当量の出血が認められたが、右の骨折している肋骨部分の皮膚の表面には変色はなく、他に、右外肘に小擦過傷が二個、左上腕後側に縦一〇センチメートル、横四センチメートルの、右前腕後側から外側にかけて縦一八センチメートル、横一五センチメートルの皮膚変色が各一個、右大腿外側中央部に縦2.5センチメートル、横一センチメートルの擦過打撲傷が認められた。そして、監察医は、右各異状所見等から正志の死因を多発性肋骨骨折を伴う胸腔内出血による出血性ショックと判断した。なお、正志の死体については解剖検査は行われなかつた(証人の証言中、右の右胸腔内出血量が五〇〇ミリリットル前後であるとの部分は後記二1に述べるとおり採用することができない。)。

二正志の死因について

1 右一2に認定の正志は時速四〇キロメートルで疾走してきた前記自動二輪車のハンドル部分(高さ1.15メートル)に右脇腹部分を衝突されたものである事実、同3に認定の救急車で搬送中の正志の脈拍の緊張が弱かつた事実、同4に認定の大脇病院における正志の初診時の血圧が酩酊していたとはいえ最高値九〇という低い値であり、当時正志がしきりに胸腹部のあたりに疼痛を訴えていた事実、また、同5に認定の病室に収容された後に急変してショック状態となつた際の諸症状、同認定の被告李による心肺蘇生術の施行中に正志の胸部から腹部にかけての部分が膨満してきた事実、そして、同7に認定の正志の死体検案において右第三ないし第六肋骨外側の骨折及び相当量の出血が認められた事実に、〈証拠〉を総合すると、正志は本件交通事故によつて右第三ないし第六肋骨外側を骨折する傷害を負い、かつ胸腔内臓器が損傷されるなどの原因で発生した右胸腔内の出血が相当量に達したことによつて出血性ショックに陥つた結果死亡したものと認めるのが相当である。

正志は、病室収容後に下顎呼吸を開始するまでの間は喘鳴及び呼吸困難等の呼吸状態の異常な症状がなく、相当激しい体動をなし、また、歌を歌うなどしていたことは右一3ないし5に認定したとおりであるが、〈証拠〉によれば、受傷者が酩酊している場合には(当時正志が相当に酩酊していたことは同4に認定したとおりである。)、骨折によつて生じる疼痛がある程度抑制されることがあり得ることを認めることができ、また、死体検案において骨折部位である正志の右胸部外側の皮膚に変色が認められなかつたことは同7に認定したとおりであるが、〈証拠〉によれば、正志が右衝突の際にセーター及びジャンパーを着用していた(この事実は同2に認定したとおりである。)ためその衝撃が右部位に皮下出血を生ぜしめるように作用しなかつた結果であると認めることができるので、いずれも右認定と矛盾するものではない。そして、被告李は正志に対して体外式心マッサージをほぼ継続して四〇分間余り実施したことは同5に認定したとおりであるが、証人丹羽信善の証言によれば、同マッサージによつて生起することのある肋骨骨折の好発部位は左側であるのに対して、正志の骨折部位が右肋骨の外側である事実、同5に認定のように被告李は正志の下に板を差し入れず、かつ、被告李が立つたままの形で右処置を実施した事実に照らして正志の死体に認められた肋骨骨折は体外式マッサージによつて生じたものと認めるのは相当でなく、この点も右認定を左右するに足りるものとはいえない。

なお、〈証拠〉のうちには、正志の死体検案時に認められた胸腔内の出血量は五〇〇ミリリットル前後であつたとの証言があるが、同じく右証言によれば右は穿刺による推定に基づくものであることが認められるから、直ちにこれを採用することはできず、右一4に認定のように正志は酩酊していたとはいえ大脇病院収容当時すでに血圧最高値九〇であつた事実及び〈証拠〉も併せ考えると、正志の死亡時の右出血量は、解剖をしていないので正確な量は明らかではないが、少なくとも五〇〇ミリリットルを大きく超えるものであつたと推定される。

2 被告らは、正志の死因が頭部外傷に伴う脳挫傷、頭蓋骨折又は硬膜外出血(血腫)等の頭蓋内損傷であつた旨主張し、〈証拠〉中にはこれにそう部分があり、また、被告李健次本人尋問の結果中には、右一5に認定の正志の容態の急変は頭部外傷により何らかの理由で頭蓋用圧が急激に上昇して呼吸中枢を含む脳幹部が圧迫されて呼吸抑制を生じたものと推定される旨の供述があるが、同3ないし5に認定したように正志には受傷直後から右急変に至る間においては意識障害を窺わせる症状はなく、特に大声で歌を歌うようなこともあつたこと、同4に認定したように頭蓋内損傷患者に通常認められる頭蓋内圧の上昇による血圧の上昇はなく、かえつて、血圧の低下が認められたこと、同4及び5に認定したように正志には初診時及び死亡確認時において頭部外傷患者の意識障害の兆候として認められることの多い瞳孔の左右不同が認められなかつた事実、そして、〈証拠〉によれば、右一7に認定した穿刺の結果髄液の少量の血性を帯びていた事実も必ずしも短時間のうちに死をきたすような重篤な頭蓋内損傷の存在を示す所見ではないことが認められ、他に重篤な頭蓋内損傷の存在を認めるに足りる確証のないことからすれば、被告らの右主張は採用できない。

三被告らの責任について

1  右一及び二に認定したところによれば、正志は本件交通事故による右第三ないし第六肋骨骨折及び胸腔内臓器等損傷の結果、受傷直後から胸腔内に出血を生じていたにもかかわらず、これに対して被告李が外来診察室における処置として乳酸加リンゲル液五〇〇ミリリットルの点滴を開始した以外は特段の処置を施さなかつたため、右出血量が相当量に達して出血性ショック状態に陥り、これに対して心肺蘇生術を施したものの奏効せず、正志が死亡に至つたものと認めることができ、〈証拠〉によつて認められるところに照らせば、正志に対して右輸液以外に特段の処置を施さなかつた被告李の対応は、胸腔内への相当量の出血を生じている患者に対して通常必要とされるところの初診時から血圧、脈拍等により循環状態を監視しつつ必要量の乳酸加リンゲル液等の輸液及び輸血を急速に実施し、更に症状の改善の認められない場合には開胸止血手術を実施するなどの処置を施さなかつた点において適切を欠いたものということができる。この点に関して被告らは、被告李が右のとおり外来診察室において乳酸加リンゲル液五〇〇ミリリットルの輸液を行つたことをもつて、被告李は正志の出血に対する適切な処置を施した旨主張するが、被告李は右輸液の点滴注射針がその後正志によつて抜き取られてしまつて五〇〇ミリリットルの全量は輸液されなかつたにもかかわらずこれを放置したこと及びその後間もなく正志が出血性ショック状態に陥つたことに照らすと被告李の行つた右輸液はその量、速度、注射針の脱落後の処置等の点において相当なものであつたとは到底認めることはできない。

そして、〈証拠〉及び一3ないし5に認定したところによれば、右の被告李の不適切な診療は、被告李が外見的に出血を伴う外傷にのみ眼を奪われ、正志の肋骨骨折及び胸腔内臓器等の損傷を看過するとともに、初診時に血圧測定を行つた以外はショック状態に至るまで血圧測定、脈拍の触知等の正志の循環状態を監視する措置を怠つたことに起因するものということができるところ、〈証拠〉に照らせば、交通外傷患者の診療に当たる医師としては、関係者から受傷機転を調査するとともに、当然に胸腔及び腹腔内の出血を疑い、出血性ショックを警戒すべきであり、特に右一に認定したように初診時の血圧の最高値が九〇であり、患者がしきりに胸腹部の疼痛を訴えていた事実があれば尚更であるといわねばならず、また〈証拠〉によれば、一般に肋骨骨折は慎重な触診を行うことにより容易に触知できることが認められるから、被告李は右診療上の過誤について過失の責を免れないものというべきである。本件の場合、骨折部位に皮下出血がなかつたこと、正志が酩酊しており、激しく体動をしていたため的確な診察がしにくかつたこと及び全身の外的な所見から一見して重篤な症状を示す所見が認められなかつたことがあるとしても、これらはいずれも右認定を左右するものとはいえない。また、被告の主張三2の主張は、正志がショック症状を呈した以降に開胸手術を施すことを前提とするものであつて採用することができない。

2 そして右一3ないし5に認定した正志の大脇病院収容時から死亡に至るまでの事実関係に、〈証拠〉を総合すると、本件においては、右1において認定した被告李の診療上の過誤がなく、被告李が正志に対して右認定のような適切な処置を施した場合には正志を救命することが可能であつたものと認めるのが相当であり、右認定に反する証人中沢省三の供述は右各証拠に照らして採用することができない。したがつて、本件における正志の死亡は被告李の右診療上の過誤によつてもたらされたものということができる。

3  してみれば、正志の死亡は、明石の本件交通事故における不法行為と被告李の右1及び2に認定した診療上の過誤が競合して生じたものというべきであるから、被告李は民法七〇九条、七一九条一項により、また、被告大脇が正志の右死亡当時、被告李を自己の開設する大脇病院における休日の当直医師として雇傭していたことは当事者間に争いがなく、被告李の右の診療上の過誤が右病院における被告大脇の医療業務の執行としてなされた不法行為であることは右一に認定した事実から明らかであるので、被告大脇は民法七一五条一項により、それぞれ損害賠償義務がある。

四原告らの地位

〈証拠〉によれば、原告京子は正志の妻であり、その余の原告らはいずれも正志の子であることが認められ、正志の死亡により、原告京子は三分の一、その余の原告らはそれぞれ九分の二の各割合で、正志の権利義務を承継したものである。

五損害について

1  正志の逸失利益

〈証拠〉によると、正志は昭和九年六月四日生で右死亡当時四五歳であり、妻子である原告らと別居して前記川野建設株式会社に雇傭され大工として稼働していたことが認められるが、右当時の現実の所得については的確な証拠がない。そこで、原本の存在及び成立に争いのない甲第一二号証によつて認められるところの右死亡時である昭和五四年賃金センサスの第一巻第一表のうち産業計、企業規模計の男子労働者についての学歴計の四五ないし四九歳の平均給与額によつてその所得を算定すべきものとし、右平均給与額によると、正志の年間所得は毎月きまつて支給される現金給与額二五万一一〇〇円の一二倍及び年間賞与その他特別給与額九〇万〇三〇〇円の合計額三九一万三五〇〇円となる。そして、正志は存命していれば六七歳まで二二年間稼働して右所得を得ることができたものと認めるべきであるので、正志の右所得からその生活費として三〇パーセントを控除したうえ、年別ライプニッツ方式によつて正志の逸失利益を算定すると(ライプニッツ係数は13.1630)、次のとおり三六〇五万九三八〇円となる。

3,913,500(円)×(1−0.3)×13,1630=36,059,380(円)

原告らは正志の右請求権を右四に判示した相続分の割合で承継したものというべきであるが、原告らは明石の加入していた自動車損害賠償責任保険による正志の死亡についての保険金で二〇〇〇万円を受領し、これを右四に判示したそれぞれの相続分の割合に応じて一部の弁済として充当したことを自認しているから、原告らの請求すべき金額は、原告京子において五三五万三一二六円、その余の原告らにおいてそれぞれ三五六万八七五一円となる。

2  正志の慰藉料

〈中略〉不慮の死亡による正志の精神的苦痛に対する慰藉料としては、七〇〇万円をもつて相当とし、原告らは正志の右請求権を右四に示した相続分の割合で承継したというべきであるから、原告らの請求すべき金額は、原告京子において二三三万三三三三円、その余の原告らにおいてそれぞれ一五五万五五五五円となる。

3  葬儀費用

〈中略〉正志の死亡による損害として原告京子が主張する五〇万円の葬儀費用は相当なものというべきである。

4  弁護士費用

〈中略〉正志の死亡による弁護士費用である損害として原告らが主張する原告京子について八〇万円、その余の原告らについて五〇万円はいずれも相当なものというべきである。

5  まとめ

右1ないし4によれば、原告らの損害額は、原告京子について八九八万六四五九円、その余の原告らについて五六二万四三〇六円となる。

六結論〈以下、省略〉

(三好達 河野信夫 高橋徹)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例